幻想再帰のアリュージョニスト読む

18禁ゲームとかはてな村が好きな人が「幻想再帰のアリュージョニスト」読んでみる

「幻想再帰のアリュージョニスト」読む2-6

2-4で人対人(カーイン)のガチバトル。ここでは心理戦や相性など駆け引きが重要になる。
2-5で人対巨獣(カッサリオ)や群れ(異獣なんとか)との戦い。ここではこまかい駆け引きよりおおざっぱな破壊力などのスペック勝負。
2-6では対組織=組織構成体戦(トライデント)

しかも、単に入れ替わってるだけじゃなくて、徐々にバージョンアップしており、かつその間もどんどん新しい情報が増えてくるわけでとてもめまぐるしい。

「当然、個々の組織構成体の中には強い個体、弱い個体が存在します。組織の形態にもよるけれど、単純で効率的な動きを追求していけば、必然的に複数の弱い個体に指示を下している強いリーダーが生まれるはずだよ。それを見つけ出して叩けば、あの巨大な融合体は組織としての体裁を保てなくなり、瓦解します。次のリーダーが選出される可能性があるけど、その時あいつらは弱体化するはず。何故って、今リーダーを務めているのは十中八九あの中で最も強力な個体だと推測できるから。つまり、****を見つけて仕留めればいい

・しつこいくらいに主人公は「自分自身はたいしたことない」し、「努力して能力をあげるよりも、サイバーカラテを使いこなす方が大事」を強調するな。

結局、最後にものを言うのは小手先の技術や付け焼き刃の武器などではない。サイバーカラテだ。俺がこの世界の住人相手に戦えるのは単に『サイバーカラテ道場』が優れているというだけであり、元世界の技術水準の問題である。
その上で小手先の技術を遠慮無く使い倒し、付け焼き刃を惜しみなく実戦投入する。それもまたサイバーカラテの極意である。


・呪術は何でもありでなく、ちゃんとロジックに従っており、そのロジックに従って打破すべきである、というところがしっかりしてるのが良い。魔法科高校の劣等生も本当はちゃんとしてるのだと思われるが、どうにも描かれ方のせいか主人公優遇が強すぎるせいかご都合主義感が否めないのだが、こちらはまだほとんど中身がわかってない割に、そのあたりしっかりしてる感じがある。実際はどうかともかく「後付け感」はあまりない。 

呪術というのは人類のごく普遍的な行いを、類推によって拡張する技術なの。だからあの『融血呪』には普通の『関係性』のロジックを敷衍して当て嵌めることができる

・その結果として、敵が変化するに従って、アキラ側の構成メンバーや主力や役割分担も変わる。ルールやロジックがしっかりしていることによって、状況の変化に大きな意味が生まれる。状況が変わっても結局それ以上の力ですべてに対応できる万能さすおには安定感があるけど、まじめに情報を読む気にならなくなってしまう。 やはり状況の変化によって強弱が変わる方が好きだ。

セスカは『邪視』の魔女だから誰かを視認するだけで呪術を発動させられるし、『呪文』も『使い魔』も『杖』も一通り修めてるからああやって儀式呪術なんかも行使できる。対して私は『杖』の魔女。この分野は基本的に呪具を事前に作って、戦闘時にはそれを運用することしかできないの。つまり手持ちの呪具が何にも無い、材料も無いこの状況じゃ役立たずってわけ

・さて、アズーリアに次いで、己の「有用性」を証明するのに躍起な存在がもう一人。というより、この世界、アキラが言うように人の命が軽く、かつ金の力が強いため、人格よりも性能・機能で判断される圧力は私たちの世界より強い。とはいえ、性能・機能での選別が大前提としてあるけれど、契約の力が強いとはいえ、それでも個別のつきあいではやはり契約や能力よりも人格面への信頼が重要になってくるのはかわらない、と。

「私は、何度だって自らの有用性を証明する。だから私にもう一度機会を頂戴。私の人格が信用できないっていうのならそれは構わない、自分の性能を証明して、それを信用してもらうだけ」
トリシューラは、自分の目的だとか思惑だとかを一切話していないし、ここに至っても俺に選択の余地がない契約を持ちかけたことに対する弁明の類をまるでしない。だが、その態度と宣言を、俺は好ましいと感じていた。

『ごめん、アキラくん、ごめんね。ちゃんと守れなかった。これじゃあシューラ、本当に、』やめろ。それ以上は言葉にしなくていい。自分の怪我よりも、自らに課した誓約と他者の安否を口にするちびシューラに、俺は何かを言おうとは思わなかった。

・「星見の塔」の魔女たちの目的が判明。それぞれ目的が違う、というのがよい。

組織内でのポスト争い。それぞれ異なる目的が設定されていて、目的の達成度、もしくは達成の順番次第でそのポストが得られるということか。つまり目的の内容によっては、協力し合える相手もいれば敵対せざるを得ない相手もいる。(中略)たとえ組織という居場所があっても、その中で更なる居場所の競い合い、奪い合いが存在する。その事実は、なんというか俺の行き先に暗雲が立ちこめている事を示しているかのようで不吉な気がした。生きる限り、居場所を求め続けるのなら、それは居場所が無いのと同じではないのか。ならば、居場所とは何だ?

・カーインさんがチョロいヒロインみたいになってて萌える。「月刊少女野崎くん」の御子柴くんみたいなかんじだけど御子柴くんほどメンタル弱くないかわりにまじめだから、めんどくささが減ってチョロさアップしててたまらんなこれ。

「あっれー? 歪んでしまった私とアキラくんの上下関係を正常に戻そうとしただけなのに、何でアキラくんは男の人とイチャイチャしてるの? おかしくない?」
「最初に食事をした時から感じていましたが、こちらからイニシアチブを取ろうとすると逃げるタイプですね、彼は。かといって自分から攻めていくわけでもないという」
「めんどくさーい。女子二人がちやほやしてるのにめんどくさい」

今日のはてな村

・単に無視される人と、炎上したりアンチがつく人の違いについて。「信用できない語り手」であるだけならたぶん無視されるか、せいぜいその場だけはてブでバカにされて終わると思われる。一方で「人を利用しよう、巻き込もうとする意思」を持ちながら「信用に値しない語り」を繰り返す事は、単に無視すればすむだけではすまない。
具体的に言えば、アホなことをいってても、それがその人の中で完結していればともかく、何かに言及しつつ、特に特定の人物に言及しつつ、的外れなことを言う人間は、警戒レベルが数段跳ね上げり、場合によっては無視だけではすまず敵視されるということではないか。

「このままだとお前の信用が失われるより先に、お前への不信が限界に達しそうだ」
「それ、どう違うの?」
「信用が失われれば俺はそいつをクズだと認識して無視するが、不信が蓄積すれば敵だと認識して殺す」

ただその場合に「悪意があってそうしているかどうか」という点が重要で、炎上したあと動揺を見せるような人はおそらく敵認定はされない。 確信犯および再犯可能性の高い人間が敵視される。




・アイドルや神輿としての価値。現在で言えば、netcraftさんやTM2501さんという人が該当するのかな。はてな村には興味あるけどあそこら辺の集まりは気持ち悪いから具体的にはよく知らない。自分でも担ぎたくなるような神輿がほしい。

助けられたのは俺で、窮地に陥っているのも俺。しかも全て自分で招いた困難だ。にもかかわらず、何故かトリシューラやコルセスカは俺の価値を高く見積もっている。それがこの状況を生んでいるわけだが、さて。では、俺の価値とは何か?結論から言えばそんなものは無い。無いが、二人はそれがあるものとして振る舞っている。その時点で、二人にとって俺は『価値ある存在』になってしまっているのだ。価値とは相対的な関係性の中で創出されるもの――換言すればでっち上げられるもの。俺はその欺瞞が気にくわない。好き勝手に外部から価値を規定されるなら、ぎりぎりまで抗って嫌がらせをしてやろう。

異世界人の主人公の価値が過剰に高く見積もられるのはよくあることだけれど、この作品、「能力」の高さではなくて「価値観の独特さ」故になんだよね。そして、この世界の呪術的仕組みが、価値観が独特であることそれ自体に価値があるということを矛盾なく示してくれてるのが面白い。
もちろん後からちゃんと試練が登場して、本当に胸を張ってアキラの価値はこれだと言い切れるような展開が来なければ、非常にしんどい。本編と違って知名度が低いけれど「マブラブオルタネイティブクロニクルズ」という作品は、本編のヒーローのタケルと違って本人に特別な能力がないが、自覚的に神輿としての立場を受け入れることで、意識的にその名声を使いこなして本来の実力以上に物事を動かす主人公の話になる予定で有り、非常に興味深い。